戦後70年

www.fnn-news.com: 戦後70年 避難生活...
戦後70年シリーズ企画。「みんなで考える ニッポンはなぜ戦争をしたのか」。 東日本大震災による津波で大きな被害を受けた、福島第1原発。70年前、ここは陸軍の飛行場で、アメリカ軍による空爆を受けました。原発事故で避難生活を送る大熊町の住民に、当時の話を聞きました (続きを読む)

<戦後70年 わたしの記念日>(2) 福原キクエさん:一面:中日新聞(CHUNICHI Web)
戦後70年 わたしの記念日>(2) 福原キクエさん. 戦時中、町には「ぜいたくは敵だ」とのスローガンがあふれた=東京都内で. 写真. 美しくありたい-。古今東西の女性たちのそんな当たり前の思いもあのころは許されなかった。 よわい九十五にして現役の化粧品販売員、福原 (続きを読む)

【時事】「ひめゆり」20年ぶり戦跡巡り/戦後70年・沖縄 | 宮古毎日新聞社ホームページ -宮古島の最新ニュースが満載!-
太平洋戦争末期の沖縄戦で、看護要員などとして動員された「ひめゆり学徒隊」の元学徒の女性らが11日、70年前にたどった道のりを巡るツアーを20年ぶりに開催した。沖縄県外を含め約60人が参加。ひめゆり平和祈念資料館の島袋淑子館長(87)は「体験者が一緒に回れる (続きを読む)


<戦後70年>「沖縄捨て石」 本土決戦の戦備、その悲惨な実態 6月23日(火) ...
<戦後70年>「沖縄捨て石」 本土決戦の戦備、その悲惨な実態 6月23日(火) 70年前の1945年6月23日、沖縄戦が事実上の終結を迎えた。 国内最初の地上戦で、死亡したとされる沖縄県民は約4人に1人。本土決戦のための時間稼ぎとされ、沖縄は“捨て石”となった。しかし、本土防衛軍はあらゆる物資が欠乏し、農作業に従事するほど。政府・大本営が頼ったのは根こそぎ動員による一億総特攻だった。 1942/06/05、開戦から約半年後、ミッドウェー海戦が起きる。正確には、わが連合艦隊主導の作戦の発動である。今から73年前の出来事である。6月5日から約3日間で連合艦隊の虎の子である空母4隻と3000名の将兵を失った。事実上の連合艦隊の壊滅であり、将棋に例えるなら、序盤で、飛車、角を失ったわけである。まず、正常な棋士なら、即座に投了する筈である。 この時期で、物質的な優劣は議論すべきではない。質量、人的共にわが方が優勢であった。アメリカはヨーロッパとの両面作戦を強いられ、どちらかと言えば、劣勢な局面であった。それにも関わらずわが軍が負けたのは、ひとえに作戦の稚拙さであろう。それに加えて、指揮官の無能さにその責任は帰せられるべきである。現場から後方まで、その任に堪えられるべき人は皆無であった。総司令官は二号サンを軍港に帯同していて片手間の指揮であるから、戦に身が入らぬこと夥しい。 この時期に、中央に、人あらば、あれだけの惨事を、以後3年も続けなかったに違いない?(続きを読む)